読むと人生変わる!!精神的財産とは何か?人が生きていく上で最も必要なものについて語ります。
皆様こんにちは!いつもお読みいただきありがとうございます😊
今回はこのブログが掲げるテーマ、精神的財産について語りたいと思います。
少し長いかもしれませんが、読んだ後に人生が変わるかもしれないくらいのことが書かれていますので、ぜひ読んでみてください。
この言葉のもつ意味を伝えることが私にとって大切なことなので、今回の記事は永久保存になることと思います。
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目次
精神的財産とは?
精神神的財産と検索、ググったとしてもこのワードにはヒットしません。
何故なら私が思いついた言葉だからです😆
精神的財産。この言葉は、私が多くの人に伝えたい大切なことを、分かりやすくひと言で表せる言葉なんです。
財産とはもちろん、お金であったり、株や債券といった金融商品、不動産のことを指します。これらは経済的価値のあるものを財産と呼びますが、財産には他にもいくつか種類があります。
人間や、団体といった法人の持つ知的財産というものがあります。発明や創作によって生み出されたものを、発明者の財産として一定の期間保護する権利として、特許権、著作権、意匠権、商標権などがあります。
これらが、一般的に財産と名のつくものだと考えられますが、私は他にも財産と呼べるものは沢山あると思います。
財産にはいくつかの種類がある
例えば技能は財産だと思います。スポーツ、芸術、音楽、文学。こういった分野で成功して活躍出来る人は一握りですが、医者、弁護士、会計士、税理士といった超難関国家資格。
他には習得するのに何十年とかかる物づくりや、伝統工芸などの職人技。サラリーマンなら工学系の資格や語学やパソコンスキル、プログラミングとかみんなやってますよね。
最も重要かもしれないコミュニケーション能力など、この世に生きる人の全てが、自分自身の技能によって、仕事をして生活しています。
よく昔は手に職をつけるとか言ったものです。
私が中学生のとき、クラスメイトに木村君っていう友達がいたんですけど、野球をやっていて、短距離走がもう超絶に早かったんですね。運動会のリレーなんか走ったら、ごぼう抜きです。もうごぼう抜きということを説明する動画を作るとしたんならあのシーンを録画したらいいなと思えるくらいの走りをしてました。
そんな木村君、実は字がとても綺麗だったんですね。中学一年生の時点で先生が感心するほどの字を書いていました。ある先生が木村君に「その字が書けるのはお前、財産だぞ」っていって褒めてました。その時に財産ってお金やモノだけじゃないんだなって感心したんですよ。私にとっては彼の足が無茶苦茶速いのも財産だと思ってました。
世の中には様々な種類の有形無形の財産がありますが、私が財産の中で最も大切だと考えるのが、精神的財産です。
お金と上手につきあうためにも、精神的財産が必要となる
経済的価値のある財産や知的財産、技能的財産は、いづれ失う可能性があります。多くの日本人は「お金が」最も便りになる存在、財産として考え、人生を生きているように思います。多くの人が大変な思いをしながら必死に働いているのは、お金を稼いで自分と家族が生活できるようにするためです。
子供に勉強しなさいと親は言います。勉強していい学校へ入って、いいところに就職して、お金に困らないように暮らして欲しいという親心からです。そしてお金は無駄遣いしないで将来のために貯金しなさいと、子供に教えている。私はこのような価値観のもと教育をうけてきました。
お金を貯蓄しておくのは実際ある程度は必要ですが、当然のことながら、お金は使わなければどんどんとその価値は下がります。
極端なたとえ話をします、昭和30年の国家公務員の初任給は8,700円です。それから50年と経たない平成12年には184,200円になっています。物価が上がっても元のお金の数字は変わりませんから、50年貯蓄していたお金は大きくその価値を下げるでしょう。お金は貯めるものでも、使うものでもない。原理原則で行けばお金とは増やすものなんです。資産運用とかして。
ですから、原則、お金を貯めこむということは絶対にやってはいけないことなんですけど、今はこの先本当にどうなるかわからない状況です。世の中多くの人は恐怖心から、お金を使わずに手元に置いておこうとしています。日本では不景気がずっと続いています。実際に生活がギリギリで使えるお金が限られているという方も多いことでしょう。でもお金は誰かが誰かのために使わないと、我々の手元には入ってこない。でも使えるお金がそれほどない。
お金とは、放っておけばその価値はどんどん下がるし、ただ生きているだけで、お金は必要ですからどんどんなくなります。こういう仕組みなものですから、我々はお金のためにあくせくと、ずっと働き続けなければなりません。
なんだかお金が多くの人を不幸にしている世の中に感じます。お金とはもともと人を幸せにするために考えられたツールなのにもかかわらずです。でもお金自体が悪いんじゃない。いま、社会の複雑さに人間がついていけてないから上手くいかないんです。
なので、お金を恨んではいけません。お金に対するネガティブな感情が人間とお金の関係を悪くしているんです。我々がお金と良い関係を築いていくためにも、まずは精神的財産を豊かにしていく必要があるのです。
この先、コロナに関係なく仕事が大量に消滅する
次に技能的財産と知的財産についてお話しします。技能的財産に関してはテクノロジーの進化で人間の仕事は今後AIやロボットに奪われていくと言われています。
民間企業出身で公立高校の校長を務めておられる藤原和博さんが書かれた『10年後、君に仕事はあるのか?』という本があります。今後、10年で、複雑な判断が求められる仕事に至るまでAIとロボットに奪われていくだろうと予測されていることがこの中で語られています。つまり、ホワイトカラーの仕事の多くは人間がやる必要はなくなり、消滅していくことになります。
この図をご覧ください。
今まで蓄えられてきた知識や技能が全く価値のないものになってしまう恐れがあります。また、知識や技能は人に伝えて伝承していく後継者がいないと失われてしまいます。
知的財産は人が決めたルールに守られている
知的財産は単に法律によって保護されています。よく、Kindleなんかで著作権保護期間が切れた古い作品なんかは無料でダウンロードできたりします。
今の法律だから、今のルールだから、知的財産は守られますが、一旦ルールが変わってしまえば無効となります。
また例話をします。よくブログを始めるなら無料のブログサービスを利用するよりも、独自のサーバーとドメインで始めた方が良いといいます。何故なら無料のブログサービスで書かれたブログのコンテンツの所有権は、ブログを書いた人のものではなく、そのサービスを運営する会社のものになってしまうのです。
例えばアフィリエイトといって、ブログ記事に広告を貼って収入を得ていたとしましょう。無料ブログサービスの記事は、運営会社の都合で消されてしまう可能性があります。ポリシーや規約が変更された場合、それに抵触するコンテンツ全てが消されてしまう恐れがあるのです。下手をすれば運営会社の都合でそのサービス自体がある日突然なくなってしまう恐れがあります。
なので独自のサーバーとドメインを取得し、独自のウェブサイトにすればルールは自分なので、所有権が確保されます。このように、ルールや基準が変われば知的財産を守ることは困難になります。(とかいいつつ、はてブロさんにはお世話になってます( ̄^ ̄)ゞ)
最後に残るのは精神的財産
今まで語ってきました、すべての財産を失ったとしても、最後には精神的財産が残ります。
精神的財産とは、長い歴史の中で蓄積されてきた文化や、人々の記憶、そして心の中にあります。
私が日々、神主としてお仕えしていく中で、お参りにこられる方から様々な悩みを相談されます。ただ相談しに来られると言うわけではなく、こういった悩みを持っているので、神様に取り次ぐ祈願祭を受けたいと来られるわけです。
ある時、中学生の娘さんとお母さんが、神社に祈願を受けにこられました。娘さんは学校で人間関係に悩んで、クラスメイトや先生からも誤解され、誰にも認めて貰えなくて居場所がない。学校に行くのが辛くて、いま学校に通えていない。また学校に通えるように神様に導いて、守ってもらいたいという、切実なお願い事でした。
私は、何とか少しでも良くなって欲しいと思い、真剣に祈りました。そして、祈願祭が終わってこういったお話しをしました。
私たちがいま現在、生きているということは、どういうことなのでしょう?私たちはお父さん、お母さんが居たからこの世に存在しますけど、さらに、おじいちゃんとおばあちゃんが居ないとお父さんもお母さんも存在しません。
そうやってずっとご先祖様をずっと遡ってみると、10代で2046人のご先祖さまが存在し、さらに遡って20代遡るとします。計算するとなんと、209万7150人ものご先祖が存在していたことになります。勿論、その中の誰か1人でも欠けると我々は存在しません。それほど多くの人が多くの危機や困難を乗り越えて、無事に子孫を残せたから我々は存在できている。私たちがこうやって存在して生きていること自体が奇跡です。
ご先祖さまを更にずっと遡っていくと、この神社の神様に繋がります。我々は神様と繋がっているんです。神様は沢山おられますが、究極でいうと神様は自然そのものなので、この我々の住む地球や、宇宙全体が神様です。
人間1人1人がとても尊い存在だと思いませんか?
人に認めて貰えないのは辛いことだけれども、まずは自分を認めてあげてください。神様やご先祖、お父さんやお母さんはあなたのことを大事に思ってくださっています。だからあなたは存在しているんです。
と、こうお話ししました。
人は誰かに認められると生きる力が湧きます。逆に、人は誰かに認めて貰えないと生きていくのが辛くてなります。
例え話を続けます、盲導犬を育てるにあたって、その盲導犬となる犬は、子犬の頃には精一杯の愛情を注ぎ可愛がってくれる愛犬家のもとで育てられるのだそうです。何故なら、盲導犬になる訓練は無茶苦茶厳しいからです。
人間とは優しくて自分を絶対裏切らない守ってくれる存在だと、心に植え付けることで厳しい訓練に耐えられる犬になるそうです。
私は、子犬だった頃の盲導犬が、その時に与えられた愛情によって、強く生きれるようになったのではないかと考えます。
人間も、子供の頃に受けた愛情で強く生きていくことができます。
受け継いだのは技ではない『心』だ
グランドマスターという映画があります。
7年前にこの映画のDVDをレンタルで3回借りて観て、もう何度みてもいい映画だと思い、初めて映画のDVDを買いました。私は原則一度見た映画はもう2度と、お金を払ってまで観ないものでしたが、この映画は私に突き抜けた価値を提供してくれました。
この映画は、トニー・レオン、チャン・ツィー、チャン・チェンといった豪華キャストが出演し、1930年代から60年代という時代の中国・香港で生きた、カンフーの達人たちの生き様を描いた作品です。
チャン・ツィーの演じるルオメイという女性は、八卦掌という流派の、唯一の継承者でしたが、ある日、師である父を兄弟子に殺されます。婚約中だったルオメイは婚約を破棄し、父の敵討ちを誓います。大晦日の夜に、駅で兄弟子を待ち伏せし、「自分の家の技は帰して貰う」と兄弟子に勝負を挑みます。
兄弟子は「技はこの身体の中にある、返して欲しければ取りに来な」といいます。兄弟子は形意拳という流派の継承者でした。
今からこの映画を観る人にネタバレになるのであまり多くは語りませんが、晩年のルオメイが幼い頃、父親からカンフーの手ほどきを受けていた時のことを振り返るシーンがあります。
父に学んだのは技ではない
心だ
幸せな日々だった
ルオメイは結局、一生結婚せず子もまず技も伝えませんでした。
ブルース・リーは「拳法のために生きるのではない。人として生きるのだ。」という言葉を残しています。
私はこの映画から、人生にとって最も大切なものを教えてもらいました。
技や技術、知恵や知識を伝えるのではなく、精神や心を伝えることの大切さ。
人は夢や希望があれば生きていけます。無ければ1秒でも生きていくのが辛くなります。
多くの人が、多くの困難に直面している時代において、日本人に生まれて良かった。生まれてきて良かったと思い、生きる力に変えられるようにしたいと思って神主になりました。
我々の祖先がいかに考え、いかに生きてその心を伝え、文化を育んできたのか?それを知るために、我々の祖先が歩んできた神様の時代から続いてきた道を辿ってみることにしました。
それが、神ながらの道、神さながらの道である、神道でした。
世の中には精神的な財産は沢山あると思いますが、私は神社の神主として、日本人の精神文化の中からそれを取り出そうと努力をしてきました。これは日本人としてのパブリックな公的な精神的財産です。
私が見つけた精神的財産は、いくら人に差し上げようと、シェアしても、決してなくなることはありません。
ですからこれからは、世の中に捧げていこうと思います。
私が見つけてきた精神的財産を。